気になる「ゴーシュ」



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とある帰り、バジルの苗が欲しくて紫波にある「ビューガーデン」に寄ってみた
店内の二階で「藤原嘉藤治」のパネル展が行われていたのでチョット覗いて見た
「藤原嘉藤治」とは宮沢賢治の親友であり、音楽と芸術において多大な影響を与えた人物である
彼は花巻高等女学校の音楽教師であり退職後は賢治全集の編集実務や「高村光太郎、草野新平」らと共に
編集にもあたった人物である
賢治作品「セロ弾きのゴーシュ」のモデルとなった人でも知られている(写真中でチェロを持った人物)
なかなかのイケメンでしょ(笑)



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で、問題がこのスケッチ画
作品の右側に藤原嘉藤治直筆でこう書かれている『十三年の秋 セロ弾きのゴーシュ(藤原)のスケッチ』
昭和十三年だと嘉藤治は東京で賢治全集の編集にあたっていたと思うし、勿論賢治は亡くなっている
この絵は嘉藤治の肖像画なのだろうか?それとも嘉藤治本人がゴーシュのイメージ画として描いたのか
作品の挿絵としてスケッチしたなら少し手が込んでいるし、本人が自分を書いたというのも若干違和感がある
そもそも嘉藤治本人に似ていないのです 当然賢治にもね
とにかく直筆の(藤原)の意味が分からないし、この絵の存在した意味もなんか今一なんです
そんな事を考えながらモヤモヤした一晩を過ごしてしまった
始めてこの絵を見たのが30年以上も前のこと
ときどき悪い虫がうずいてしまうのです(笑)

高村光太郎が溜息した懐かしい景色を眺めながら美味しいコーヒーを頂きました。







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# by warutorawa | 2017-06-06 00:30 | 宮沢賢治の世界 | Trackback | Comments(0)

八幡平の初夏 3



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ーあゝいゝな せいせいするな
風が吹くし
農具はぴかぴか光ってゐるし
山はぼんやり
岩頸だって岩礁だって
みんな時間のないころのゆめをみてゐるのだー

                            「雲の信号」宮沢賢治

゛時間のないころのゆめ “ とは?

宇宙が始まって時間の概念ができたという

ということは・・・

う~ん、アインシュタインにでも聞くしかあるまい (爆)




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# by warutorawa | 2017-06-03 00:30 | Trackback | Comments(4)

八幡平の初夏 2




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山男やスキーをこよなく愛する人達の静かな憩いの場であった八幡平

月日が立ってバブルの時代を迎え、大型スキー場が次々とできた。

ゲレンデにはカラフルなウエアーにに身を包んだスキーヤーが乱舞していたっけな~

時代のトレンドとばかりに大挙してやってきた都会のスキーヤーは
様々な恩恵を地元にもたらしたが...

そしてバブルが去り辺りは一変した

とくに伝統のある国設八幡平スキー場の閉鎖は、昔からのスキーファンをがっかりさせた

しかし、そんな時の流れを静かに見守ってきた山並だけはいつも変わらない。
















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# by warutorawa | 2017-06-02 00:30 | 光影の記憶 | Trackback | Comments(0)

八幡平の初夏




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八幡平の頂上に行くには二つのルートがある

樹海ラインとアスピーテラインの二つだ

今回は昔からのルートであるアスピーテラインを通った

どちらも美しいルートだが、アスピーテラインの方が解放感と広大な風景を楽しめる

樹海ラインも悪くないが秋の紅葉シーズンの方がいいかもしれない

昔は春スキーをしによく来たものだが、今はボーっと眺めているのが性に合うようだ。







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# by warutorawa | 2017-06-01 00:30 | 大地の記憶 | Trackback | Comments(0)

雲上の楽園




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ここは、八幡平国立公園にある旧松尾鉱山の廃坑跡です。
ここの歴史は、様々な資料やネット等でも多く紹介されているので詳しい事は省略させて頂きます。

ここがなぜ「雲上の楽園」だったかと言えば、先ずこの場所が標高1000m近い高所であるということ
たかが1000mと思うかもしれませんが、緯度が高いので、南の地方でいえば1500m近い場所に匹敵します。
冬になれば気温は-20℃以下にもなるし、雪だって4~5mは積もったでしょう。
こんな冬の厳しい所で、恐ろしくモダンな生活を享受した人達がいたのです。

戦後の貧しかった頃から、ここでは鉄筋コンクリート造りの団地に住みトイレは水洗、冬は全館セントラルヒーティング
勿論小中学校あり、病院は完備されていたし、なんでもありの売店もあったそうです。
(いまのスーパーやコンビニの前身みたいなもの)
最盛期の人口は13000~14000人にも達したそうです。
麓の人達はとても憧れていたそうですから、いかに先進的な場所だったかが伺えます。
まさに「雲上の楽園」だったのでしょうね。

その頃の日本はまだ公団住宅もなく、トイレだって汲み取りだったはずだし、暖房だって反射式ストーブが一般的だったでしょう。
しかし、そんな憧れの楽園も昭和47年に閉山を迎え忽然と人が消えてしまいました。
現在は、草木に覆われた建物だけが当時の面影を残しています。

まさに「強者どもが夢のあと」、そんな場所なのです。


                          







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# by warutorawa | 2017-05-31 00:30 | 光影の記憶 | Trackback | Comments(2)

四季折々の情景を気ままに写し撮って行きたい。気軽にお寄りください。